知性

【人生の途中式】完全に明確な解を得るだけが、理解じゃない

どうも、書い人です。

数学なんかをやっていると(現在は上記の本をよく読んでいます)、「なんかよくわからないけど、後々考えると(ある程度は)ちゃんと分かっていた」ということがたまにあります。

小説でもそんなことがありました。

ライトノベルの『ヘヴィーオブジェクト』がよく分かんなあ、と思っていてアニメ化したので、自分の理解の浅さを補足してくれるかな? と期待して観たら、頭の中にあった話そのまんまだったりとか。

なるほど、自分は「理解」というものに対して謙虚すぎるのかもしれません。

この辺りは、小学校(中学校の初期も?)あたりの学習方法に問題があったのかもしれません。

露骨に明確な答えがあり、解法も単純明快(少なくとも、自分からしたら)。

そんなのだから、明確に解いて明確に答えが出せるのが問題への取り組み方の全てだと思ってしまったのかもしれません。

でも、よほどIQの高い天才(フォン・ノイマンとかね)でもないかぎり、いつまでも明確な解法で解を出し続けるというのは難しいはずです。

ある程度わかっていれば良いんじゃないの? 細かい部分は後々詰めていけば良いんだ、と思うようになってきました。

途中式の部分点(方式)とでもいいますか。

難しい問題への取り組み方や、大学レベルの学習方法を、じわじわと身につけている最中な気がします。

以下は私信。

ずらずら数式を並べ立てられると、「わけ分かんね」と投げたくなりますね。

でも、案外全体の概要(がいよう、大筋)は知っていたりするので、もう少し油断するというか、リラックスして詰めていけば良いんだと思うようになりました。

細かい計算をするのは面倒ですが、大学受験以下の数学・算数は大体これが全てになる気がします。

発想力はあまり問われない、パターン認識力への問いかけというか、ある意味で易しく、優しい。

出題者側からしても、点数(数値)化しなければいけないので、明確な採点基準がないと困りものです。

でも、大学や大学院以降の数学や物理、理系の問題に取り組みたいのであれば、このままの学習方法ではいけないな、と思った次第です。

頑張ります。

ありがとうございました。